兄が結婚して家族が増えた。
兄嫁家の長男がアメフト実業団の選手で「応援に一緒に行きませんか?」と誘ってもらえたので見に行くことになった。
僕と父と兄で行き、向こうは兄嫁とお義父さんが来ていた。向こうの家族に会うのは初めの顔合わせ以来で2回目なので、僕の父はまだ緊張しているようようだった。
僕は会場に少し遅れて行ったのだけれど、僕が着くなり開口一番に父は、
「おい!ビールあるぞ!お前も飲め」
と言ってきた。ビールは飲むけれどもまずは兄嫁に挨拶させてくれ。世紀末かよ、無法地帯かよ。
そうは思ったのものの、昼からビールが飲めるのはうれしい。外で飲むビールもさらに美味い。
兄嫁の家族は両親ともに学校の先生をやっており、娘・息子もみなきちんとした大学をでている優秀な家族だ。一方で我が家は現在大学生の一番下の弟を除いて、父母含めて全員が高卒である。
もちろん学歴ですべて決まるわけではないが、父はそれに気後れをしているようだった。兄嫁の家族と初顔合わせしたときもそうだ。堅い空気が得意ではない父は、緊張と恐縮が入り混じりすぎて、兄嫁の父のことを、
「先生様」
という尊敬も謙譲もハチャメチャに押し寄せてきそうな呼び方をしていた。僕ら家族は「父は緊張しっぱなしで役に立たないだろうな」と誰もが思っていたので、右から左にムーディ勝山のごとく華麗に聞き流していた。
父は僕と弟が小学生のときにサッカーのコーチをやっていて、昔はよく一緒に外で走り回っていた。
コーチをやっていた関係で、僕の友人と関わることも多かった。僕の友人の前では、父はいつもおちゃらけていた。子どもが好きなのかもしれないし、ただおちゃらけるのが好きなだけなのかもしれない。
本心はわからないが、そのときの子どもを喜ばせるときの父の笑顔は、僕の中では一番「父らしい姿」だなと心に残っている。
(会場で売っている体育会系どんぶり)
しかし大人になるにつれて、家に友達を呼ぶ機会も減り、母とあまり仲が良くない父は家でおちゃらけることがほとんどなくなった。
次第に、家族と父との間に微妙な亀裂ができるようになった。特段、嫌なことがあったわけではないが、話すのがなんとなく億劫になった。
今思えば中学生や高校生のときは、おちゃらけていない父と何を話せば良いのかわからなかったのかもしれない。
そんな父はやはり今日も緊張しているのか、酒をガバガバと飲んでいた。いつものことなので大丈夫なのだが、今日は兄嫁の家族もいる。
大丈夫か…?と心配している僕をよそに、
「おとうさんもどうですか?飲みますか?」
と酔った勢いで兄嫁の父にお酒をすすめていた。そして見事に断られて一人でしょげていた。
父は楽しそうだった。お酒もすすんでいるし、外で飲んでいるので気持ちがよかったのだろう。そして何より、兄と僕とどこかにでかけるのも小学生以来だったんじゃないだろうかと思う。
きっと父は心から楽しかったはずだ。でなければチアリーディングを見ながら、
「おい!チアリーディングの人たちにチップ渡してこいよ!
え?そんなこと普通はしないって?俺が昔ハワイ行ったときにはそういう風にしたんだよ。あの頃はバブルだったな〜」
と息子2人と兄嫁とお義父さんがいる中で、誰も聞いていないのに、ハワイでポールダンスを見に行った話をはじめるわけがない。誰が得するんだこの話し。
兄は赤面し、兄嫁家は苦笑いを浮かべ、僕は爆笑した。
アメフトのルールがわからないが、兄嫁の父が解説をしてくれたし、何より身内が出場しているというのはおもしろい。
父は義兄が試合に出るたびに「いや〜すばらしいですね〜」「すばらしい息子さんですね〜」とホメていた。きっと今ならねずみ小僧役は父になるだろうと思えるくらいにゴマをすっていた。
「ゴマをすっていた」と書くと語弊があるかもしれないが、父の昔からの性格なのだ。 会話に困ったらなんでも良いから褒めるのである。
だから時間が経つと褒める言葉もなくなってくる。このときも最終的には「いや〜アメフト会場の空気って美味いですね〜」と言い、人間ではなくもはや気体を褒めていた。
僕は幸せな休日ってこういうことを言うのかもしれないなとふと思った。
アメフトのルールはわからないし、父は適当な話しばかりをしているし、兄と兄嫁はそれを見て笑い、兄嫁の父は真面目に解説をしてくれている。
一見チグハグに見えるけれど、僕にとってはその時間が何よりも穏やかで、日々の忙しさなど微塵も感じさせない時間だった。アメリカのコメディホームドラマの世界に入り込んでいるような気持ちになる。
試合は結果として大勝し、義兄も活躍する大満足の内容だった。ルールはわからなくても、活躍したことと勝ったことはわかる。やはり身内が活躍すると誇らしいものがある。
アメフトの試合では終わったあとに選手が入り口で出迎えてくれるらしく、みんなで義兄に会いに行くことにした。
会場の外に出ると 義兄は友人に囲まれていた。
「ちょっと待ってから挨拶しに行こうか」
と話していたが、酔っている父にはそんなことは耳にも入っていなかった。長い時間眠っていた暴走機関車はもう止まらなった。
「いぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇぇえ!!!
父ですぅうぅぅうううぅううぅうぅうぅl!!!!!!!!!!!」
サンシャイン池崎も真っ青なテンションで義兄の友達の前でダブルピースをし、自らのことをアピールしだした。
これにはポールダンスの話しで爆笑していた僕も赤面せざるを得なかった。もう兄嫁とお義父さんの顔を見ることはできなかった。
というより、まずお前は義兄のお父さんじゃないから、僕のお父さんだからね。
だけれど父のそんな全力でふざけた姿を小学生以来に見たので、僕はなぜか泣きそうになっていた。
ここで泣くのおかしいだろ?と思うかもしれないが、僕にとっての父の背中というのは「ふざけている姿」なのだ。
家で横になって何をするでもない父の小さな存在が、疎ましく感じることも多々会った。しかし今日は久しぶりに父らしい「おちゃらけた」姿が見れて、単純に僕はうれしかったのだ。
久しぶりに父らしい父を見れた気がしてなんだか無性にうれしかったのである。
そんな恥ずかしいことあったあと、蕎麦屋に行ってみんなで軽くお酒を呑んだ。兄嫁もお義父さんもお酒を呑んでいて、父もうれしそうだった。
会話ははずみ、様々な話をし笑いあった。「家族が増えるっていいな」と心から再び思えた。
楽しかった時間を終えて、いよいよ帰ろうと店を出たときに、父の姿が見えなかった。地下のレストランにいたので、道は一方通行で近くにいればすぐ見つかるはずだ。
トイレかな?と思って探してみるものの、大便はすべて未使用で父の姿は見当たらなかった。
全員で蕎麦屋周辺をウロウロと有るきまわっていると、兄が「あ」と小さく声をあげ、父を発見した。
発見した瞬間に兄は爆笑していた。
父はなぜかトングを持ち、パン屋さんで真剣にパンを選んでいたのである。まったくもって行動が不可解だ。ジャスティン・ビーバー並に行動が読めない。
最後まで父はめちゃくちゃであったが、不可解な行動をとるときは相当に酔っており楽しいときなのである。それを含めて僕はうれしかったし、そんな父と過ごす時間は楽しかった。
ただ今はそんな感情はどうでも良かった。目の前の父にツッコミを入れなくてはいけない。僕はパン屋にいる父の姿をみてオーソドックスに、
「なんでだよ!!!」
と指を差して叫び、兄と兄嫁とお義父さんとみんなで爆笑した。
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