小学生〜中学生の頃にハリーポッターシリーズが大好きだった。映画はもちろんのこと、特に小説の方が好きだった。魔法という世界観もたまらないし、ハリーやハーマイオニー、ロンという3人が妙に人間味があって「本当に実在する世界の話しなんじゃないか?」という妄想が止まらなかった。9と4分の3番線は絶対にあると思っていた。というか今でもあって欲しいと願っている。
しかし、僕はとあることをキッカケに、ハリーポッターシリーズを読むのを辞めてしまった。本の内容がつまらなかったからではない。小学校の高学年のときのクリスマスが産んだ悲劇なのである。
クリスマスも近づいたとある日、僕は父に「今、欲しいものはないか?」とサッカークラブの帰りの車中で尋ねられた。父がさりげなくクリスマスプレゼントに何が欲しいのか聞きだそうとしているのを感じとっていたが、気づかないふりを僕はした。父はこういったときに話を聞き出すのが下手くそで、車に乗っているのにも関わらず目がクロールするほど泳ぎまくりであった。もはや泳ぎすぎて白目で運転していたような気もする。今思えば事故らなくてよかった。
当時、大流行していたハリーポッターを当然の如く好きだった僕は、発売したばかりの「炎のゴブレットが今は欲しい」と何でもない顔で父に伝えた。
炎のゴブレットは上下巻なのである。ハリーポッターシリーズは1冊2000円以上するのが当たり前なので、上下巻で4000円もする。小中学生には手が出しづらい金額だ。
(アズカバンの囚人までは、お年玉などを切り崩して買っていた)
そこにクリスマスというビッグイベントがやってきたのだから好都合だった。車の中で僕は上機嫌になった。クリスマスが待ち遠しかった。父も何が欲しいのか聞けたので満足そうであった。クロールで泳いでいた目もようやく定位置に戻った。
父に欲しいものを告げてから数日後、いよいよクリスマスがやってきた。両親がイベント好きなのもあって、小学校の高学年になっても枕元にプレゼントが置かれる方式が続いてた。
クリスマス当日は、いつもより気合の入った母の手料理を食べ、すぐに布団に入り眠りにつこうとした。朝起きれば待ちに待った炎のゴブレットが手に入るのだ。こんな楽しみなことはない。早く寝ようと思えば思うほど興奮して眠れなかった。
眠れなかったので2つ違いの兄と「明日何が枕元にあったらうれしいか?」という話をした。兄もやはり楽しみなようで、そわそわしながらプレゼントの話やくだらない話をした。そして気がついたら眠りについていた。
朝、隣からはしゃいでいる声が聞こえて目が覚める。兄がどうやら枕元のクリスマスプレゼントを開けたようだ。中学生になってオシャレに目覚めた兄は茶色のエンジニアブーツをもらって喜んでいた。小学生や中学生からすれば大人の靴だ。かっこいい。うらやましい。
ねたましい気持ちもがあったが、僕の枕元にも当然のごとくプレゼントが置いてあった。この四角い形、重み、そして厚み…間違いなく父に頼んだ「ハリーポッターと炎のゴブレット」だ。プレゼント用の包装紙に包まれているが、手に持つと明らかにわかる。
僕は興奮して勢いよく、ビリビリに袋を破ってプレゼントを取り出した。
しかし、僕は喜ぶどころか口を開けて呆然としてしまった。ただただその本を見て硬直してしまったのである。
なにせもらったプレゼントが炎のゴブレットではなく、「アズカバンの囚人」だったからだ。当然の如く僕がすでに持っているものだ。クリスマスプレゼントに欲しいものがもらえると思ったらまさかのダブリだ。ガチャガチャでダブリが出ただけでもげんなりするのに、ハリーポッターとアズカバンの囚人が2冊だ。この本の重みが怒りに変わるのも時間の問題であった。
僕は怒り狂った。それはもう暴れまわった。クリスマスという絶頂から、羽虫の如く奈落に叩き落とされたこの気持ちは止められなかった。
布団を投げ、泣き崩れ、叫び、転げ回り、床を叩いた。そして父を呪った。横で喜んでいる兄が妬ましかった。兄はよく拗ねる僕に感心も示さず、「いつものことだろう」と思い、もらったブーツを見てうっとりしていた。
怒りが収まらない僕は父に直接抗議しに行くことにした。それは家ではご法度な行為だった。なにせプレゼントは枕元にあったわけだから、「サンタクロース」という存在が両親であるということを進言しにいくということになるのである。来年から枕元のプレゼントがなくなる可能性もある。
しかし、そんなことになりふり構ってもいられなかった。この気持ちを抑えるには新しく本を買ってもらうしかない。当然のことだ。確実に勝訴できる一件だ。
そして怒り心頭で父のところに行くと、僕はとある異変に気づいた。父の姿を見て一瞬で怒りが静まったのである。父が包装されたとあるものを持ってこちらを満面の笑みで見ているのである。それはまぎれもなく、包装されたハリーポッターの本であった。
実は枕元にあったアズカバンの囚人は母からのものであった。僕に何が欲しいのか直接尋ねなかった母は「ハリーポッターが好き」という曖昧な情報で、プレゼントを選んでいたのである。
僕は急速に怒りが収まっていくのを感じた。やはり一家の大黒柱である。僕のほしいものを的確に与えてくれる。神よ。ありがとうございます。僕の偉大なる父に感謝を。
父も満面の笑みで僕に「これ、クリスマスプレゼントだ」と言って少し恥ずかしがって鼻をかきながら渡してきました。僕もすっかり機嫌がよくなって、さきほどのアズカバンショックも忘れてプレゼントを受け取りました。
ようやく…ようやく手に入った。本屋の包装を勢いよくビリビリに破いた。
アズカバンんんんんんんんんんんんんんん!!!!!!!!!!!
もう怒りを通り越して頭が真っ白になった。自分で買ったアズカバンの囚人、枕元にあるサンタクロースにもらったアズカバンの囚人、そして目の前で100万ドルの夜景に値する笑顔で父にもらったアズカバンの囚人。
アズカバンの囚人のスリーセブンだ。なんだろう。うちの家族はアズカバンの囚人が3つそろうと、スロットのようにコインが大量に出てくるとでも思っているのだろうか。それともアズカバンの囚人を7つ集めると願いを叶えてくれる龍でも出現すると思っているのだろうか。
だとしたら勘違いだ。アズカバンを3冊揃えて出てくるとしたら、僕の大量の涙と、心からこみ上げてくる怒りだけだ。
そして僕は気づいたら父と壮絶な取っ組み合いをしていた。記憶が定かではないが、幸せなクリスマスがめちゃくちゃになったのは覚えている。あのときの父の顔は今でも忘れられない。満面の笑みから一転して悲しみに満ち溢れていた。「ありがとうくらい言えよ!!!」という父の言葉が今でも胸に残っている。
もちろん返品すればよかったのだが怒り狂った僕は「そんな問題じゃない!!」と声をあげ断固拒否した。そしてその悲しみを表すように机の上にはアズカバンの囚人が3冊高く積み上げ、その影に隠れるよに僕はひたすら泣いた。
その事件を機に僕はハリーポッターシリーズを読むのをやめてしまった。この事件を僕は「ハリーポッターとアズカバンのスリーセブン」と呼んでいる。もう二度とこんな悲劇が怒らないように僕はこれ以降欲しいものは紙に書いて渡すことにした。クリスマスの悲劇が二度と怒らないように…
しかし事件はこれだでにとどまらなかった。二年後に再びことは起きた。
中学生になった僕は「ポケットモンスターSPECIAL」というポケモンの漫画に大ハマリしていた。
中学生になった僕に父は「誕生日のプレゼントは何が欲しい?」と直接聞いてきた。過去の失敗を繰り返さないようにするためであろう。もう間違えないように父はしっかりと僕の意向を聞くようにしたようである。
僕も同じ過ちが起こらないように、紙に「ポケモンの漫画」と書いて渡し、さらに事前に表紙も見せておいて「この漫画の4巻以降が全部欲しい」とお願いした。
そして誕生日の当日に父は満面の笑みで僕に誕生日プレゼントを買ってきた。
ギエピーぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!
ポケモン違い。まったくの別漫画である。「あんこ」と「うんこ」くらい違う。
しかし僕はそのプレゼントをもらったときに、2年前のように暴れ狂うこともしなかった。あれから2年。僕も成長した。父の悲しい顔はもう二度と見たくなかった。
僕は静かにその誕生日プレゼントを受け取り、父の満面の笑みを崩さないように静かに「ありがとう」と伝えた。
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