一人暮らしを始めたばかりの頃にスーパーがどこにあるのかわからなくて、夜ご飯はよくローソンを利用していた。
そのローソンには黒髪を後ろで結った銀フレームの眼鏡をかけた女の子が働いていた。学園ものの漫画にでてくる委員長みたいな堅い雰囲気の女の子だ。まだあどけなさも残っている容姿からおそらく高校生なのだろうと予想していた。
そんな店員である彼女は見た目通り生真面目なようで、どんな客が来ようとも必ず会計前に、
「Pontaカードをお作りしましょうか?」
と聞いていた。引っ越してきてから3ヶ月が経ち、ほぼ毎日コンビニに行っている僕にも毎回聞いてくる。
「いや、今は大丈夫です」とそのたびに答える。もはや当たり前のやり取りになっていたので、その返答は反射的に口からすべりおちる。そこに感情はなく呼吸をするような当たり前の作業だ。慣れというのは恐ろしい。
おそらくマニュアル人間ってやつなのだろう。教えられた通りのことしか出来ない、やらない、余計なことはしない。最近はそういった人が増えているらしい。
「自発的には動かず指示されたことしかやらないなんてロボットですよ!今の若者はロボットと一緒ですよ!!」
人気の辛口コメンテーターが朝のニュースでそう揶揄していた。そのニュースを見たときに、「確かにロボットみたいだな」とコンビニの店員を思い出した。そのニュースを見ながら彼女のことをに心の中で「ロボ子」と勝手に命名した。
ロボ子は仕事をきっちりと完璧にこなしていた。レジも早いし、商品を並べるのも手際よく作業している。
仕事ができるロボ子だが欠点もあった。それは接客業なのに、笑顔を少しも出さないということだ。淡々と商品のバーコードを読み取り、淡々と商品を袋につめ、淡々とPontaカードを作るかどうか聞いてくる。仕事としては100点かもしれないが、接客としては半人前といった感じだ。
彼女を見ていると、我ながらいいあだ名をつけたなと自分自身に感心する。それほど彼女はロボットのように感情をあまりださないようにみえた。
僕は勝手にロボ子が印象に残っているだけで、彼女は店員で僕は客なので何も関係性がなかった。ただコンビニで商品を買って会計をしてもらうだけだ。
しかし、そんな何もないと思っていた中でひとつの事件が起きた。
ロボ子がショートした。予想外のことが起きて、彼女が対応しきれない事態が起きたのだ。
夜21時くらいに僕がローソンに行くと、ロボ子がてきぱきとレジ近くの栄養ドリンクの棚を整理していた。
お客は僕の他にペンキのシミがついた作業着姿の男と、40代くらいの主婦と幼稚園くらいのその娘がいた。
僕はいつものようにコーラとチョコレートを選んでレジに行こうとしたが、先に作業着の男がカゴをレジ前に置いたので、僕はその後ろに並んだ。
ロボ子はそれに気がついてレジに行こうとした。しかしその瞬間、作業着の男は、
「おい、ねーちゃん時間ないから早くレジやってくれよ」
と声を荒げた。時間がなかったのか男はイライラとしている様子だった。
その言葉に動揺したのかわからないが、ロボ子は持っていた栄養ドリンクの小瓶をひとつ床に落としてしまった。パリンと小さな音が聞こえ、地面に落ちた瓶の割れ目から液体がみるみるうちに広がっていく。
ロボ子は床を拭こうと思いポケットからダスターを取り出したが、レジに男がいることを思い出し、どっちを優先すべきか考えているようで直立で固まってしまった。
「ちょっと!!
危ないからはやく床をふいてちょうだいよ!子どもがいるのよ?」
瓶が割れる音を聞きつけてきたのか、スウェットを着た主婦が横から口を出してきた。そのうえ作業着の男も「早くしろよ!」とロボ子を睨みながら刺すように言った。
ロボ子は床と主婦とレジ前の男を見渡して固まっていた。目が潤んでいるようにも見えた。
そのいたたまれない状況を見て僕が耐えられなくなった。ロボ子からダスターを奪いとり「僕が拭いておくのでレジやってください」と声をかけた。
なにが起きたのかわからないという表情を彼女は見せたが、ハッと何かに気づき抑揚のない声で「ありがとうございます」と僕に伝え、いつもの無表情でレジに歩き出した。
無事に作業着の男と親子の対応を終えて、割れた栄養ドリンクの瓶を片付け床を拭いた。そしてようやく僕の会計の番になった。
彼女はいつも通りなにごともなく淡々とレジをこなし、僕もなにかを期待していたわけじゃなかったのでいつも通り料金を払った。
僕がコンビニ袋に手をかけ、扉の方に向かおうとすると「あ」とロボ子がちいさく声をあげた。
「なんだろう?」と思って声に耳を傾けると彼女は無機質な言葉を並べた。
「申し訳ありません。一点確認を忘れていました。お客様、Pontaカードはお作りになられますか?」
この状況でそれを言うのか。天変地異が起きてもこの子は同じことを言うかもしれない。そう一瞬考えたが、僕も3ヶ月同じことを言われ続けていたのでそれよりも反射的に答えが口から漏れ出ていた。
「いや、今は大丈夫です」
そのやり取りをしたあとロボ子と目があって数秒経ったのち、僕らは合図もなく同時に笑った。お互い見たことはある関係だが、今までは接点がまったくなかった。点と点がつながる瞬間というのはこういうものなのだろう。些細なことだ。
彼女は笑うとどこにでもいる普通の高校生だった。「今の若者はロボットと一緒ですよ!」と言っていたコメンテーターにもこの表情を見せてやりたいと思った。
それからというもの僕がコンビニに行ったときに、彼女とは他愛もない世間話をするようになった。他のお客さんがいるときは僕に話しかけてこないというルールが彼女の中ではあるようで、そこはマニュアル通りというか彼女らしさがあった。
今日は天気がよかった、新商品が美味しかった、仕事が大変だった、高校の勉強が難しい…お互いの素性のことはほとんど聞かずに、店員と客という一線を超えずに一言二言の会話をするだけだ。いつでもその関係性を変えることができる目に見えない切り取り線が僕らの間にはあるようだった。
ただ、レジでは今まで通り彼女とは一切会話をしない。おそらく「作業中はお客と話さない」というものが脳内にインプットされているのだろう。
ただときどきであるが、商品を袋に詰めて「Pontaカードをお作りしましょうか?」 と言った後に、イタズラをする子どものように彼女がニヤニヤと笑っていることがある。
僕はいつも通り「いや、今は大丈夫です」と答えると、彼女は満足そうに笑みをこぼして僕に軽く会釈をする。そのあとまた無表情に戻ってレジを打っている。そんな姿を見ていると自分だけが特別な気がして、帰り道は思わず頬が緩んでしまう日もあった。
そんな関係が一ヶ月近く続いていつしか僕もそのコンビニに行くのか楽しみになっていた。
彼女のことは「可愛い」とは思ったが、彼女に抱く感情は異性としてではなく親戚の子供のそれに近いものがあった。正確にはそう思い込もうとしていた。彼女は高校生であり、僕は大人だ。その関係を超えてはならないという理性がそこには存在した。
環境の変化というものはいつだって突然やってくるものである。変わらないものはない。そんな当たり前のことを僕は思い知ることになる。
その日は午後から天気が悪く今にも空が泣き出しそうな雰囲気だった。いつものローソンにお客がいないことを確認して店内に入る。
ロボ子がレジから僕の顔を確認したが、なにやら曇った表情を見せた。こんなことは初めてだった。
彼女は僕に笑顔を見せてくれるようにはなったが、それ以外の表情を見せることはなかった。初めて彼女の暗い顔をみて僕は何かを察知し、口の中が乾くのを感じた。
彼女は僕の近くにきたが何も言わずに下を向いていた。僕は何もいわずに商品を見ているフリをして彼女の言葉を待った。
お客もいない狭い空間に陽気なBGMが流れているが、2人の間には重苦しい空気が漂っていた。
決心をしたように顔をあげ、彼女は静かに淡々と言葉を紡いだ。
「来週の水曜日に大阪に引っ越すことになりました。月曜日が、最後の出勤になります。」
言い終えると彼女は無表情なまま僕を見上げた。まるでなにかを待っているような眼差しであった。一点の曇りもないその目に僕は怖気づきそうにもなったくらいであった。
頭の中で様々ことが逡巡した。
初めてみたときの印象、彼女を助けたこと、あどけない笑顔、そして目の前の彼女の目…
僕の頭を様々な言葉が駆け巡っては消えていき、残ったのは「彼女は高校である」という言い訳だけであった。
「そう、なんだ」と一言吐き出すのが精一杯だった。
彼女はそれを聞いても微動だにしなかった。ただ目には諦めのような悲しい感情が現れた。彼女はそのまま何も言わずに踵を返してレジに戻った。
僕はその場に立ち尽くしてしまった。自分がだした言葉に「本当にそれでも良いのか?」と何度も頭が警報を鳴らしていたが動くことができなかった。
自動ドアが開き他のお客が入ってきたことにより、僕はハッとした。入ってきた中年のサラリーマンが僕に怪訝な表情を向けた。僕はコンビニに来ていることを思いだしたが、何を買ったのか良いのかわからず、家で飲んだことなどないのにビールとおつまみを持ってレジに向かった。
ロボ子も僕も何も言わずに淡々と会計は終わった。ロボ子もいつものあのセリフは口にしなかった。
僕は袋を持って扉に向かって歩きはじめた。ガラスの自動ドアに写った目を押さえる彼女を見ないようにして外に出た。
雨の中を傘もささずに自宅に戻り、風呂に入って買物をしたビニール袋を眺める。
中身を取り出しビールを一口飲んでみたが、まったく味がしなかった。味のしないビールを一気に飲み干しベッドに横たわると、なにかが欠けたのが自分でもわかった。
なぜあのときなんでも良いから客と店員という間柄を壊す言葉でてこなかったのか。理性という言い訳が僕の心を支配する。
彼女は若い。僕のような人間と一緒になるわけにはいかない。だけどこの感情の行き場はどこにもなかった。
涙すらでてこないぽっかりと空いた心で何も考えることができず、その日は目をつむりただただ眠りがくるのを待った。
月曜日の夜に僕は自分にケジメをつけようと彼女のいるローソンに行くことにした。決心はできた。コンビニに近づくにつれて胃がキリキリと痛むのを感じた。
しかしお店の前に立ったときに何か違和感を感じた。お店に入ってみるとレジには見たことがない大学生らしき女の子が立っていた。彼女の姿がそこにはなかった。
僕は店内をキョロキョロと見渡し、銀フレームの眼鏡をかけた彼女の姿がないのか必死に探した。途中から自分でも気づいていたが彼女はどこにもいなかった。
いつものようにコーラとチョコレートを持って、 レジに行って話を聞いてみると、「今日が最終出勤日であったが、引っ越しの準備が忙しくなりこれなくなった」ということを聞いた。
そうか、あのときが最後だったのか。客と店員という線を切り取るのはあの瞬間しかなかったのだ。もう何もない。彼女と僕の間には本当に何もなくなってしまった。
僕はうつむいたまま買物を終えて店を出ようと袋に手をかけた。「あ!」と店員が小さな声をあげた。
「申し訳ありません。ひとつ確認わすれていました。Pontaカードはお作りしますか?」
僕はセリフを聞いて、「いや、今は大丈夫です」と口からでそうになるのを飲み込んだ。カードを作ろうと思った。もう二度と忘れないために。
僕は静かに頷いてPontaカードを受け取り、大事なものを扱うようにそっと財布にしまった。
大切なものは自分がしらないうちになくなるかもしれません。
あなたの大切なものはなんですか?
あなたがその大切なものを失くしてしまわないように、
私たちはあなたの大切な毎日をお預かります。
あなたの毎日を忘れないようにするために。
あなたの生活に大切な一枚を。
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※この記事はローソン及びPontaカードと一切関係がありません
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