megayaのブログ

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「兄弟と似てるね」と言われるのはいつ嫌じゃなくなるのだろうか

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僕は4人兄弟の次男であり兄、僕、妹、弟という構成で、全員顔がおそろしく似ている。地元を歩けば「あれ?お兄ちゃんかと思った!」と勘違いされ、弟の授業参観をみんなで見に行ったときは「え!?クローン?!!」と騒がれ、教室がプチパニックになったほどだ。(大げさな表現ではなくちょっと授業が中断するくらい教室がざわついた)

僕はもう27歳になるのだが兄弟は4人とも仲がよく、会えばずっと話しているし、時間があればカラオケとかにも行く。兄とは買い物に行くこともあり、洋服屋に行くと「双子ですか?」と半笑いで言われることもざらにあるくらい似ている。自分では分からないが顔だけでなく、喋り方や動作までも似ているらしい。

兄とは2つ違いなのだが、弟とは9つも年が離れている。冒頭の写真見てもらうとわかるのだけど性格も仕事もやっていることもまったく違うはずなのに、髪型がみんなほぼ同じなこともよく友人に驚かれる。みんな前髪たらしの横流し。ハンコ絵かよ、金太郎飴かよ、大量生産かよ。スライムかスライムベスくらいの違いしかないよ。

おおもとをたどれば僕ら兄弟は全員が父に顔が似ている。それだけでなく、おじいちゃんも似ており、さらにひいおじいちゃんまで顔が似ている。父方の血の濃さがすごいのだ。

そしてここからが首を傾げたくなるおかしい話であるが、なぜかおばあちゃんも顔が似ているのだ。父とおじいちゃんが似ているのはいいが、おじいちゃんとおばあちゃんの顔が似ているというのはおかしい。家系図の横のつながりがなんで顔が似ているんだとみんなに言われる。さらにおかしいことにひいおじいちゃんとひいおばあちゃんも顔が似ているのだ。クローンとクローンを結婚させる闇の実験的なものにうちの家系は巻き込まれているのだろうかと不安になる。「よし、クローンの男女を結婚させたら孫もひ孫も顔が似ているんだがwww」とか神様が2ちゃんスレッドとか立てて遊んでいるのかしれない。ただ、母は似ていないので、僕の両親の代でようやくその輪廻から抜け出せたのかもしれない。よかった。自分が同じ顔の人間と結婚すると思うとゾッとする。(妹には申し訳ない話であるが)

だから、僕の家に来て仏壇に飾ってある遺影を見るとみんな笑うのだ。「おまえんちwwwなんでwwwじいちゃんとばあちゃんも同じ顔なのwwwwwスロットゲームの777かよwwww」と。百発百中で笑いがとれる。決して悲しいとは思わない。家に友達を連れてくるだけで簡単に笑いがとれるので、会ったこともないひいおじいちゃんに感謝している。こんな感謝のされかたをするとは先祖も思っていなかっただろうけど。


僕ら兄弟は昔からずっと「似ている」と言われ続けている。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、そして社会人になってからもずっとだ。「こないだ〇〇にいたでしょ?」と言われたけどそれが弟だったり、「電車で寝てんじゃねーよww」と僕と勘違いして友人が撮影した兄の写真が送られてきたりしたこともある。それ普通に盗撮だからね。

普通は兄弟と言えば「似ているね」と言われると「え?そう?似てなくない?」と否定するものだと思うが(僕の周りはそういう人が多い)、僕の兄弟は「へへ…まあね!」と勲章をもらったのかのように、どこか誇らしげに答える節がある。何が誇らしいのかは自分でもわからないけど。

でも僕自身が幼少期のときは似ているとは自分では思っていなかった。他人に言われてもどこが似ているのかまったくわからなかったし、むしろイマイチ納得できなかった。高校生くらいになったときに初めて周りに笑いながら「似てるだろ?おもしろいだろ?」と自虐ネタにして言えるようになっていた気がする。

自分では正確に覚えていないが、小学校と高校の間をとって中学生のどこかで「似てるよ!」と自分から言うように意識が変わったのかもしれない。

「似ている」ということを認めるようになった理由は色々とあると思うが、否定していたのには、コンプレックスも一つの要因だったんじゃないかなと思うことがある。

 

兄と僕は顔は似ているが、小さい頃の出来はまったく違った。兄はサッカーがものすごく上手く、小学生のときから県選抜に選ばれているような人だった。中学ではもちろんレギュラーだったし、後輩からの信頼も厚かったと思う。一歩引いて俯瞰で見るようなタイプで、落ち着きもあったし、先生から見ても優等生的な存在だったと思う。

一方の僕は兄の後を追うようにサッカーを始めるものの、少しも上達せずに、中学ではずっとベンチだった。最後の引退試合も「早く終わらねーかな…早く引退してーな…」と思っていたクズで、後輩からも呼び捨てにされていた。落ち着きなんて一切なくて何にでもクビをツッコむ空気の読めないタイプであった。

似ているけど中身はまったく違うから一文字違いの「うんこ」と「あんこ」みたいなものだ。


僕はおそらく両親に褒められたいという気持ちもあり、兄がやらないことをやるようになった。兄は小学生のときから学級委員や生徒会といった役を先生に頼まれていたが、すべて断っていた。逆に僕そういったことに積極的にやっていった。

もの静かでサッカーも上手かった兄に対してやっぱりどこかでコンプレックスがあったんだと思う。特に中学生のときは兄が3年で僕が1年で同じ部活におり、兄と実力を比較されては2年生の先輩にバカにされた。あれは本当に辛かったな…

 

そう考えていると、兄弟で「似ている」「似ていない」と思っていた時期には、対抗心のようなものがあったのかもしれないなと思う。兄のことは嫌いではなかったが、心のどこかでわだかまりがあったのかもしれない。

誰でもそうだと思うが、多少の嫌悪感を抱いてるものに「似てる」と言われてもやはり否定したくなる気持ちになるのかもしれない。自分が好きではない芸能人に似てると言われて良い気持ちになる人はいないだろう。

一種の同族嫌悪のようなものかもしれない。タイプは違うけど、兄弟というくくりだけで兄と同じにされたくなかったのかもしれない。これだけ頑張っているのに同じにされたくないという気持ちも多少はあったのかもしれない。(ちなみに今は結婚したいくらい僕は兄に陶酔している)

 

そんなことを考えているときに、ふと弟の気持ちはどうなんだろうと思った。大学一年生の弟からしたら年齢が一回りも離れている兄と僕はもう立派なおじさんの部類だろう。30歳手前の僕らに似てると言われたら、やはり若者からしたら嫌な気持ちになるのではないだろうか。

そう思って直接弟にLINEで聞いてみることにした。

 

 

 

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弟は「ない」と言い切った。やはり歳が離れているからか、兄弟に対抗心などないのかもしれない。歳が離れすぎていてコンプレックスなど気にしていないのかもしれない。

もしくは弟は僕らがある程度は成長してから生まれてきており、ちゃんと弟の面倒を見てきたので、その感謝の気持ちが僕らにあるのだろう。そういった感情があり「似ている」と言われてもべつになにも思わないのかもしれない。くぅ〜いい弟に育ったな〜!!

 

しかしそんな僕の考えとは弟の脳の構造はまったく違い、その次にきたメッセージで僕は驚愕した。

 

 

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、、、、

 

、、、

 

、、

 

すげーな、こいつ…!!!!!

何この今までの文章を無に帰すような一言。マダンテかよ。スライムとスライムベスくらいの違いしかない量産型の兄弟かと思っていたけど、まさか配合を重ねて+10以上になったマダンテが覚えられるスライムだったのかよ。

なんかごちゃごちゃと文章書いていたのがアホらしくなってきた…

 

 

 

 

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そうか。べつにコンプレックスとかそういう次元じゃないのか。弟からしたら「似ている」とか「似てない」と言われようがなにも関係がない。オリハルコンで出来た「ナルシスト」という鎧を着ているのだ。生まれたときから僕らには興味なかったのだろう。おそらく僕ら兄弟のことは、ちょっと汚れてみえる鏡くらいにしか思っていなかったのかもしれない。

 

兄弟が似ていると言われるのはコンプレックスも多少関わっているのかもしれない。だけどそんなことはどうでも良い。僕が伝えたいのは人間大事なのは鋼の精神力ということだ。こういう心が人間大事なのである。僕もそんな心が強い人間になりたかった。

とりあえず弟はいつか同じ顔のような人と結婚して、また自分と同じ顔のクローンを量産する輪廻に陥ってほしいと願うばかりだ。

 

 

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